リニアフェイズEQはいつ必要か:位相・プリリンギング・遅延を計算で確かめる
- 公開
- 出典 17 件
- 記録 1 件
- 出典の確認日
リニアフェイズEQに替えると、音は良くなるのだろうか? 結論から言うと、EQのカーブが同じなら周波数ごとの音量は変わらない。100Hzを+6dB持ち上げる同じカーブで計算しても、両者の差は計算の丸め誤差ほどしかなかった1。違いが出るのは、音がどれだけ遅れて出てくるかという「時間」のほうだ。ふつうのEQ(IIR)では遅れが周波数ごとに-1.09msから+2.28msまでばらついたが、リニアフェイズではどの周波数もそろって170.65ms遅れた1。
では、リニアフェイズEQはいつ必要なのか。編集部の判断(2026-10-12)では、EQをかけた音を、よく似た別の音と足し合わせるときだ。並列処理や、帯域を分けて処理してから戻すときがこれにあたる。ただし代償もある。遅れが大きくなるうえに、音の始まりより前に小さな響き(プリリンギング)が出てしまう。たとえば80Hzを4次のローカットで急に切ると、線形位相では合成したキックの始まりより22.8ms前から、ピークに対して-60dBを超える音が出ていた1。同じ日に6つのDAWのマニュアルも読み比べたところ、全バンドで使えるリニアフェイズのモードか専用のプラグインがあると書いていたのは、そのうち3つだった234。
なお、製品そのものは測っていない。数値は、記録1にある再現できる計算か、文献とマニュアルの記載から取っている。
リニアフェイズEQとふつうのEQの違い
EQの式の定番であるAudio EQ Cookbookに載っているのは、過去の出力を計算に戻して使う再帰型(IIR)のフィルターだ6。再帰型ではインパルス応答を左右対称にできず78、そのため位相は周波数に対して一直線にならない8。
一方、線形位相のフィルターには、インパルス応答が左右対称のFIR(出力を計算に戻さないフィルター)を使う7。長さNのFIRなら、どの周波数も(N−1)/2サンプルずつ遅れる7。すべての周波数がそろって遅れるので、振幅を変えても波形の形が崩れにくいわけだ7。
周波数ごとにどれだけ遅れるかは、群遅延という量で表す。ある周波数のまわりの狭い帯域で、音量の包絡(エンベロープ)がどれだけ遅れて出てくるかを示すものだ9。用語にも触れておくと、SteinbergとImage-Lineのマニュアルは、ふつうのEQの処理を最小位相(minimum phase)と呼び34、Voxengoも線形位相ではない処理をMin-Phaseと呼んでいる10。
図:100Hzを+6dB持ち上げるEQ(Qは1)を通したときの、周波数ごとの群遅延1。上の段のIIRでは50Hzが-0.60ms、100Hzが+2.24ms、200Hzが-0.15ms、1000Hzが-0.01msになる1。下の段は振幅が同じ線形位相(16383タップ)で、どの周波数もそろって170.65ms遅れる1。横軸は途中を省いた。値が負でも、入力より前に音が出るわけではない。
各社マニュアルの記述
DAWに付属するEQのマニュアルを読み、リニアフェイズの機能があるか、代償として何が書いてあるかを比べた。読んだ範囲で記述が見つからなかったものは「書いていない」とした。これは製品の良し悪しを比べる表ではない。
| マニュアル | リニアフェイズの機能 | 書いてある代償 | 使う場面の説明 |
|---|---|---|---|
| Apple Logic Pro 12.32 | Linear Phase EQ(Channel EQと同じ8バンドの別のプラグイン) | 遅れが増える(Channel EQより)。トランジェントの立ち上がりに影響し、急なカットや狭い帯域の大きな増減でとくに目立つ | トラック間の位相をそろえたい場面(複数マイクの録音など)、マスタリング |
| Steinberg Cubase Pro 12のFrequency 23 | バンドごとのLinear Phase Processing | 遅れが増える。まれに、ベースの急なローカットでプリリンギングが聞こえる。そのバンドではダイナミックのフィルターを使えない | M/Sのモードでは有効にするよう勧める |
| Steinberg Cubase Pro 12のCurveEQ(Voxengo)1110 | 既定が線形位相。Min-Phaseで最小位相に切り替える | 遅れは53ms(補正される)。線形位相にはプリリンギングがある。ふつうはリアルタイムの処理に向かない | 書いていない。急なスロープでは最小位相のほうが良いとする |
| Image-Line FL StudioのFruity Parametric EQ 24 | LINで全バンドが線形位相 | 遅れが増える。ふつうはミキサーの自動補正でそろう | 他のチャンネルと混ぜるとき(キックの低域が痩せる例) |
| Image-Line FL StudioのFrequency Splitter12 | 帯域分割のLinear phase | Precisionの設定により12〜290msの遅れ | ドライや他の信号と足し戻すとき |
| Fender Studio Pro 8.113 | Pro EQ3のLLC(位相が直線のローカット)だけ | CPUの負荷が高い | 書いていない |
| Ableton Live 1214 | 書いていない(EQ Eight、Channel EQ、EQ Three) | 書いていない | 書いていない |
| Bitwig Studio15 | 書いていない(EQ+など) | 書いていない | 書いていない |
表の出典:231110412131415(確認日2026-10-12)
まとめると、6つのDAWのうち全バンドで使えるリニアフェイズのモードか専用のプラグインがあると書いていたのは、Logic Pro、Cubase Pro、FL Studioの3つだった234。Fender Studio Proにあるのはローカットの1バンドだけで13、Ableton Live 12とBitwig Studioには記述が無かった1415。
DAWに付属しないEQからも、例としてFabFilter Pro-Q 4のヘルプを読んだ5。こちらには遅れの数値が段階ごとに載っている(主張3で取り上げる)。
主張ごとの検証
リニアフェイズEQについていわれていることを、確かめられる形の4つの主張に分けた。
- リニアフェイズにすれば、音が良くなる
- 位相のずれは、足し合わせる場面で問題になる
- リニアフェイズには代償がある
- 単体のトラックに掛けるだけなら、どちらでも同じ
主張1リニアフェイズなら音が良くなるのか
方法
結果
20Hz〜20kHzで見ても、振幅の差は最大で1.4×10の-11乗dB(23Hz)だった1。計算の丸め誤差と変わらない大きさにすぎない。
| 周波数(Hz) | IIRの群遅延(ms) | 線形位相の群遅延(ms) |
|---|---|---|
| 50 | -0.60 | 170.65 |
| 100 | +2.24 | 170.65 |
| 200 | -0.15 | 170.65 |
| 1,000 | -0.01 | 170.65 |
20Hz〜20kHzの範囲で、IIRの群遅延は20Hzの-1.09msから96.5Hzの+2.28msまで変化した1。一方、線形位相の群遅延はどの周波数でも8191サンプル(170.65ms)で1、長さN=16383のときの(N−1)/2にちょうど一致する7。
IIRの群遅延は50Hz、200Hz、1000Hzで負になった1。とはいえ、群遅延は包絡の遅れを表す量なので9、負の値はその周波数のまわりの狭い帯域で、包絡がフィルターの無いときより少し早く来ることを示しているにすぎない1。入力より前に音が出るわけではない。実際、この計算でもIIRの出力には、入力の始まりより前のエネルギーが無かった(主張3)1。
FabFilter Pro-Q 4のヘルプも、リニアフェイズの処理はふつうの処理より優れているわけでも、音がより透明になるわけでもないと書いている5。あくまで、主に位相の打ち消しを避けるための問題解決の道具、という位置づけだ5。
言えること
振幅が同じEQなら、IIRと線形位相の違いは周波数ごとの遅れ方に限られる。IIRでは持ち上げた帯域の近くで遅れ方が周波数によって変わり、線形位相ではすべての周波数が同じだけ遅れる代わりに、全体の遅れが大きくなる。
言えないこと
この遅れ方の違いが耳で聞き分けられるかどうかは、この計算では分からない。製品のEQが、ここで作ったフィルターと同じ形をしているかどうかも分からない。
主張2位相のずれが問題になるのは、どんなときか
方法
計算した場面は2つある。1つめは並列の足し算で、元の音に、120Hzの2次のハイパスをかけた複製を足す1。同じ音源を2本のマイクで録り、片方にだけローカットをかける場合も、式は同じになる1。ただし、マイクの距離による遅れは計算に入れていない。
複製にかけるEQは、IIR、遅れをそろえた線形位相、遅れをそろえない線形位相の3通りとした。遅れをそろえる場合は、元の音のほうを8191サンプル遅らせている1。
2つめは帯域分割で、200Hzを境に低域と高域に分け、何もせずに足し戻す1。分け方は4通りで、バターワース2次の組、その高域を逆相にした組、2次を2段重ねたLR4(Linkwitz-Riley)の組、線形位相FIRの組を比べた1。
線形位相FIRの組では、LR4のローパスと振幅が同じ線形位相FIR(16383タップ)で低域を作り1、高域は遅らせた元の音からその低域を引いて作った1。こうすると、足し戻したときに残るのは元の音の遅れだけになる。それでいて、2つの帯域の振幅はLR4の組と変わらない1。
結果
並列の足し算の結果は次のとおりだ。値は、元の音だけのときを基準にした大きさで示している。
| 周波数(Hz) | IIR(dB) | 線形位相、遅れをそろえる(dB) | 線形位相、そろえない(dB) |
|---|---|---|---|
| 60 | -1.51 | +1.89 | +0.39 |
| 120 | +1.76 | +4.65 | -10.00 |
| 240 | +5.25 | +5.89 | +5.80 |
| 1,000 | +5.99 | +6.02 | -1.07 |
- 1kHzでは、遅れをそろえた線形位相が+6.02dBになった1。同じ音どうしを、位相をそろえて足したときの大きさに相当する。
- IIRでは複製を足したにもかかわらず、60Hzが元の音より1.51dB小さくなった1。谷の底は66.0Hzの-1.57dBだった1。
- 遅れをそろえた線形位相では、どの周波数でも元の音より小さくならなかった1。
- 遅れをそろえないと、櫛形の谷がずらりと並んだ1。谷は5.86Hz間隔で、20Hz〜2kHzの範囲に338本ある1。そのうち312本は-20dBより深く、深さは1,995Hzの-103.9dBにまで達した1。
- 時間の側から見ると、遅れをそろえない場合は、EQした複製が170.65ms遅れてもう1度重なっていることになる1。
図:元の音に、120Hzの2次のハイパスをかけた複製を足したときの周波数特性(元の音だけのときを0dBとする)1。IIRと、遅れをそろえた線形位相を比べている。元の音より小さくなるのはIIRだけで、66Hz付近に谷ができる1。遅れをそろえない場合の細かい谷は、本文に数値で示した。
続いて、帯域分割の結果を示す(分割点は200Hz)1。
| 分け方 | 分割点での和(dB) | 分割点での位相(度) | 分割点での群遅延(ms) |
|---|---|---|---|
| バターワース2次の組 | 谷(数値では-271) | 定まらない | 定まらない |
| バターワース2次、高域を逆相 | +3.01 | -90 | 1.13 |
| LR4の組 | 0.00 | -180 | 2.25 |
| 線形位相FIRの組 | 0.00 | 0(遅れを除く) | 170.65 |
- バターワース2次の組をそのまま足すと、分割点に完全な谷ができた1。和が-3dBを下回る帯域は、103Hzから387Hzまで広がっている1。
- 高域を逆相にすると谷は消えたが、分割点に+3.01dBの山が残った1。
- LR4の組と線形位相の組では、20Hz〜20kHzにわたって和の大きさが平らになった1。
- ただし、位相には違いが出た。LR4の和は分割点で位相が-180度回っており1、大きさは平らでも波形は元の形に戻らない1。
- 線形位相の組は、作り方のとおり、8191サンプルの遅れを除けば位相が0度だった1。合成のキック(ピーク-6dBFS)を分けて足し戻し、遅らせた元の音を引いてみると、残りのピークは-313.07dBFSと、浮動小数の丸め誤差ほどしかなかった1。
図:200Hzで2つの帯域に分け、足し戻したときの周波数特性1。バターワース2次の組(そのままのものと、高域を逆相にしたもの)、LR4の組、線形位相FIRの組を比べている。LR4と線形位相の線は、どちらも0dBで平らになる1。
マニュアルも、足し合わせる場面を挙げている。
- Apple Logic Proは、複数マイクの録音のように、トラック間で位相の一貫性が要る場面で使うよう書いている2。
- Image-Line FL Studioのマニュアルによれば、IIRの位相の回転が問題になりうるのは、主に他のチャンネルの音と混ぜるときだ4。例として、キックの低域が痩せるケースを挙げている4。
- 同じFL Studioのマニュアルは、Frequency Splitterのリニアフェイズの帯域分割を、ドライや他の信号ときれいに足し戻すためのものと説明している12。
- FabFilter Pro-Q 4のヘルプには、位相が変わった音を似た音と混ぜると部分的に打ち消し合う可能性が高い、とある5。例に挙がっているのは、曲の一部だけにEQをかけ、クロスフェードでつなぐ場面だ5。
- Steinberg Cubase Proは、M/Sのモードでは望まない音色の変化を避けるために、リニアフェイズの処理を勧めている3。
遅れそのものは、ふつうはミキサーの自動補正でそろう、とImage-Lineのマニュアルは書いている4。
言えること
位相のずれが音量の差になって表れるのは、EQした音をよく似た音と足すときだ。並列の足し算と帯域分割では、IIRの位相のずれが谷や山、あるいは位相の回転として残った。線形位相でこれを避けられるのは、遅れがそろっている場合に限られる。そろっていなければ、EQした複製が170.65ms遅れて重なり、周波数特性に5.86Hz間隔の櫛形の谷が並んでしまう1。
なお、線形位相の帯域分割で和が元に戻るのは、高域を「遅れ−低域」として作っているからだ。製品が同じ作り方をしているかどうかは、読んだマニュアルには書いていなかった。
言えないこと
実際のマイクの組には距離による遅れがあり、マイクごとに周波数特性も違う。そうした場合の和がどうなるかは、この計算からは分からない。また、すでにあるマイク間のずれをリニアフェイズEQで直せるかどうかも扱っておらず、読んだマニュアルにもそう書いたものは無かった。
主張3リニアフェイズに代償はあるのか
方法
ここでは3つの計算をした。1つめはプリリンギングで、80Hzのローカット(バターワースのハイパス)を急な4次とゆるやかな2次の2通りで作り1、それぞれをIIRと、振幅が同じ線形位相FIR(16383タップ)で用意した1。
これらのフィルターに、インパルスと合成のキックを通す。キックは、55Hzの正弦波を時定数80msで減衰させ、3msのクリックを足したものだ1。そのうえで、出力のエネルギーのうち、入力の始まりより前に出る分の割合を求めた1。ピークに対して-60dBを超える音が、始まりの何ms前から出ているかも調べた1。線形位相の出力は、8191サンプルの遅れを除いてから比べている1。
2つめは遅れ、3つめは精度と遅れの関係で、後者では持ち上げる周波数ごとに、振幅の差が0.5dB以内に収まる最短のFIRを求めた1。主張1と同じピーキングEQ(+6dB、Qは1)を使い1、切り出しの窓は3種類を比べた1。
結果
線形位相の出力のうち、始まりより前に出た音は次のとおりだった。
| ローカット | 素材 | 前に出るエネルギーの割合(dB) | 前に出始める時刻(始まりの何ms前) |
|---|---|---|---|
| 4次1 | キック | -9.99 | 22.8 |
| 2次1 | キック | -15.28 | 13.5 |
| 4次1 | インパルス | -29.10 | 4.8 |
| 2次1 | インパルス | -30.12 | 4.3 |
- IIRの出力では、どの組でも始まりより前にエネルギーは出ていなかった1。
- 4次の線形位相では、キックの出力エネルギーのうち始まりより前の分が-9.99dB、つまり全体のおよそ10分の1あった1。
- FIRを32767タップに長くしても、この値は変わらなかった1。
- 急な4次のほうが、ゆるやかな2次よりも早い時刻から音が現れ、始まりより前に出る音の量も多かった1。
- 同じ4次でも、前に出始める時刻はインパルスで4.8ms前、キックでは22.8ms前だった1。キックの55Hzは80Hzの切れ目より下にあり、本体の多くが削られる1。つまりキックは、残った出力に比べて前に出る分の割合が大きい素材といえる。
図:80Hzのローカットに合成のキックを通したときの、0.5msごとのピークのレベル(出力のピークを0dBとする)1。横軸の0がキックの始まりで、線形位相は遅れを除いて描いている。線形位相の2本(4次と2次)は0より前から立ち上がるが、IIRの2本は0まで-120dBのままだ1。
では、なぜ音の前に響きが出るのか。J. O. Smithの解説によれば、急な切れ目の近くで起きる位相の乱れは、ふつうその周波数の響き(リンギング)として時間軸上に現れる16。そして線形位相は、ゼロ位相の応答を遅らせた形をしている8。ゼロ位相のフィルターでは響きが本体の前後に分かれて出るのに対し、最小位相ではすべて本体の後ろに出る17。同じ解説は8次の楕円ローパスの例を挙げ、ゼロ位相で前に出る響きが本体のクリックより先に聞こえたとも書いている17。
次に全体の遅れ(レイテンシ)を見ると、主張1と同じ16383タップでは8191サンプル、48kHzで170.65msになった1。IIRのレイテンシは0サンプルだ1。精度と遅れの関係は、次の表のとおりだった。
| 持ち上げる周波数(Hz) | 矩形窓のタップ数 | 矩形窓の遅れ(ms) | ハン窓の遅れ(ms) | ブラックマン・ハリス窓の遅れ(ms) |
|---|---|---|---|---|
| 50 | 1,833 | 19.08 | 47.25 | 69.81 |
| 100 | 917 | 9.54 | 23.63 | 34.92 |
| 400 | 231 | 2.40 | 5.92 | 8.75 |
| 1,000 | 93 | 0.96 | 2.38 | 3.50 |
- 持ち上げる周波数が半分になると、必要な長さはほぼ2倍になった1。矩形窓なら、100Hzで917タップ、50Hzでは1,833タップ要る1。
- 窓の選び方でも遅れは大きく変わり、50Hzでは矩形窓の19.08msに対して、ブラックマン・ハリス窓では69.81msになった1。
図:+6dB、Qは1のピーキングEQを線形位相FIRで作るとき、振幅の差を0.5dB以内に収められる最短の遅れ1。持ち上げる周波数が低いほど、遅れは長くなる。窓は3種類で比べた。
データ:d5_latency.csv1
マニュアルにも、同じ傾向の記載がある。
- FabFilter Pro-Q 4では、リニアフェイズの遅れが44.1kHzで3072サンプル(約70ms)から66560サンプル(約1509ms)までの5段階に分かれている5。
- 同じヘルプは、低域の分解能を上げるほど遅れは長くなるとしたうえで、一般にはMedium(5120サンプル、約116ms)を勧めている5。
- 分解能を上げると、プリリンギングでキックなどの輪郭が鈍る場合もあるという5。Maximumの設定では、プリエコーの問題も起こりうるとしている5。
- L/R用とM/S用のバンドを同時に使うと、リニアフェイズの処理が2段重なって、遅れも2倍になる5。
- Image-Line FL StudioのFrequency Splitterでは、Precisionの設定によって遅れが12〜290msになる12。
- Voxengo CurveEQの遅れは53msで、200Hz未満の分解能は設計上低くなっている10。
- Steinberg Cubase Proは、ベースに急なローカットをかけると、まれにプリリンギングが聞こえうると書いている3。
- Apple Logic Proのマニュアルによれば、Linear Phase EQはトランジェントの立ち上がりに影響し、急なカットなどでとくに目立つ2。
ただし、製品の遅れがこの計算と同じ(N−1)/2の式だけで決まっている、と書いたマニュアルは無かった。
Voxengoのガイドは、リアルタイムで使うと遅れが聞こえることについて、想定どおりだと答えている10。リニアフェイズEQにはどれも遅れがあり、ふつうはリアルタイムの処理には使えない、という説明だ10。そもそも遅れの無い線形位相(ゼロ位相)は、未来の入力を使わなければ作れない18。逆に、ファイル全体を先に読める処理なら、この制約は無い18。
CPUへの負荷は製品によって違う。Fender Studio Proは、LLCのような位相が直線のフィルターはCPUの負荷が高いと注意している13。一方、Apple Logic ProのLinear Phase EQは、使うバンドの数によらずCPUの使用量が一定だという2。
主張4単体のトラックに掛けるだけなら、どちらでも同じか
方法
ここでは新しい計算はしていない。主張1から3の結果を、よく似た音と足さない場面に当てはめて考えた。
結果
よく似た音と足さないのであれば、主張2で見たような谷や山は生まれない。残るのは、時間の面での違いになる。
- IIRでは、持ち上げた帯域の近くで周波数ごとに遅れ方が変わる。この例では、20Hz〜20kHzの範囲で-1.09msから+2.28msまでの幅があった1。
- 線形位相では全体が170.65ms遅れ、急なカットでは音の前に響きが出る1。全体の遅れのほうは、ふつうはミキサーの自動補正でそろう4。
これについて、マニュアルと文献は次のように書いている。
- Image-Line FL Studioは、IIRの位相の回転はふつう聞こえないとしたうえで、モードを切り替えて良くなるか悪くなるかを確かめるよう勧めている4。
- FabFilter Pro-Q 4のヘルプは、単純なベルやシェルフなら位相の影響はごく小さいとする一方で5、急なローカットやハイカットではトランジェントに影響して透明感が落ちうるとも書いている5。
- Apple Logic Proは、Channel EQによる位相の変化は耳で分かる効果になることがあり、それはしばしば好ましいものだと書いている2。ただし、これはメーカーとしての見方だ。
- J. O. Smithは、EQのような音楽用のフィルターで主に気にするのは振幅の特性だとしている16。さらに、最小位相と線形位相の中間が良い場合もある、とも論じている17。
言えること
単体のトラックだけなら、IIRと線形位相の違いは時間の面に限られる。IIRでは周波数ごとに遅れ方が変わり、線形位相では急なカットのときに音の前へ響きが出る。どちらかが一方的に有利だという結果は、この計算からは出なかった。
言えないこと
どちらが良く聞こえるかはこの計算の範囲外で、聞こえ方そのものも確かめていない。
結論(編集部の判断)
判断日:2026-10-12。判断の材料にしたのは、記録1の計算で確かめた事実と、文献とマニュアルの記載だけで、音の好みは考えに入れていない。
| 主張 | 判定 |
|---|---|
| 1 リニアフェイズなら音が良い | 根拠が無い。振幅は同じで、違いは周波数ごとの遅れ方だけだった |
| 2 位相のずれは、足し合わせる場面で問題になる | 正しい。並列の足し算と帯域分割で差が出た。線形位相で避けるには、遅れがそろっていることが前提になる |
| 3 リニアフェイズには代償がある | 正しい。代償は遅れとプリリンギング。低域を細かく扱うほど遅れは長く、急なカット(4次)ではゆるやかなカット(2次)より響きが前に出た |
| 4 単体のトラックなら、どちらでも同じ | 計算では決まらない。違いは時間の面に限られ、聞こえ方は確かめていない |
つまり、リニアフェイズEQは音を良くするモードではなく、足し合わせで起きる問題を解くための道具だ。FabFilter Pro-Q 4のヘルプも、同じ位置づけで説明している5。
- 使う価値がある場面:EQした音を、元の音やよく似た音と足すとき。たとえば並列処理、同じ音源を複数のマイクで録ったトラック、帯域を分けて足し戻す処理、曲の一部だけにEQをかけてつなぐ処理がそうだ。M/Sのモードで使う場合も、Steinberg Cubase Proはリニアフェイズの処理を勧めている3。
- 使わなくてよい場面:単体のトラックに、ゆるやかなカーブのEQをかけるだけのときや、録音・演奏の最中で遅れが邪魔になるとき。
- 気をつける場面:キックやベースの低域を急なカットで切るとき。線形位相では、音の前に響きが出てしまう。
- 判断が変わる条件:プリリンギングの聞こえ始める大きさを示す資料が見つかったとき。もう1つは、目立つプリリンギングや長い遅れを伴わないとメーカーが説明する別の方式(FabFilter Pro-Q 4のNatural Phaseなど)を使うときだ5。
明日からの確かめ方
- 使っているEQのマニュアルで、リニアフェイズのモードがあるか、遅れについて何と書いてあるかを確かめる。
- 並列処理をしているなら、EQした複製と元の音を足した状態でEQのモードを切り替え、低域の音量を見比べる。
- 遅れの補正が効いているかを確かめる。平らな設定のリニアフェイズEQを挿したトラックと、同じ音のトラックを用意し、片方を逆相にして足す。音がほぼ消えないなら、遅れがそろっていない。
- 帯域分割のプラグインなら、各帯域に何もしない設定で通したトラックと同じ音のトラックを、片方だけ逆相にして足す。音がほぼ消えないなら、分けて足し戻した音は元の形に戻っていない。
- 低域を急に切ったときは、キックやベースの頭を書き出し、波形を拡大して、始まりより前に波が出ていないかを見る。
- 録音や演奏の最中は、リニアフェイズのモードを外すか、遅れの小さい設定にする。
関連する棚:
再現の手順
再現に必要な情報(スクリプトの場所とハッシュ、乱数のseed、ライブラリの版、生成物のハッシュ)を、記録から抜き出して示す1。
- 記録
ev_msr_synth_linear_phase_eq_11- コミット
197abea45ea299fc94f0066de3ae82b9e224e178- スクリプトの SHA-256
54b8f9a5b5882170fb1a3b03b9925f28b4e184f6ddaccd0a5c36e8d3d7247a32- 乱数の seed
20261012- ライブラリ
numpy 2.5.3scipy 1.18.1python 3.13.11soundfile 0.14.0matplotlib 3.11.2
生成物の SHA-256(18 件)
| ファイル | 種類 | SHA-256 |
|---|---|---|
concept_phase_time.svg | 図(SVG) | 37e55e34918e273f68b310da4bff039caf863ed8a5277b7d66e0f5299ed91ba3 |
d1_group_delay.csv | 曲線(CSV) | 4bed54f5ee0b42b873bff65289e8f80fe819d9ec2bd20cdaa4a936964f4f34e3 |
d1_group_delay.png | スクリプトの図(PNG) | c1e687aadec6824657c237b49a646125ec4e403044588a885534e81ca1d58bb0 |
d1_magnitude.csv | 周波数特性(CSV) | 0dea410798571c50c4771bf6196b2e696267f9bcc4965d27825ae4ea0ba93342 |
d2_preringing.csv | 曲線(CSV) | 28f32c811ae26314f8796a057e7513b1539635a835d7549ec8777fe9683f7eb4 |
d2_preringing.png | スクリプトの図(PNG) | 0d7813770055e24a32b27faf65381653184e3aa743591780d2aae94d4c761001 |
d2_preringing_level.csv | 減衰の曲線(CSV) | 67501816ea18c1f7e1c1ca0fe1ef63db60b60fd336bd2fe73b44d19ded451947 |
d3_parallel_sum.csv | 周波数特性(CSV) | f64369e8adcf06ef24812f57f7e52fe373e55cddc399058c2c83cb6008f091ef |
d3_parallel_sum.png | スクリプトの図(PNG) | 48d41d77bbcbe90870e579c697769214ec5004364fa88815e52244250a9918f2 |
d3_parallel_sum_iir_vs_linear.csv | 周波数特性(CSV) | c5690d4dc20d9754936c57e4748fbf6b6b8909c7a886e534ec885707cc67fa07 |
d4_crossover_phase.csv | 位相特性(CSV) | efc9616a90c6aac86474c5fe921013f5aa48e68fca0ca9dd55c42ef44cffc216 |
d4_crossover_sum.csv | 周波数特性(CSV) | ea5239a3f162257244f49d5d2fbee70b2f4f96853ab53a29c55fd3e62a328f4a |
d4_crossover_sum.png | スクリプトの図(PNG) | 2d90e32c5ae9f2b6afe43e5608d1ffffa0fabe78b22758cfeab5ce1eaebb0c7a |
d5_latency.csv | 曲線(CSV) | a677d799247b0b1ec0c36084ce729e0369374171bcc95e51e225605cc6f25cf9 |
d5_latency.png | スクリプトの図(PNG) | 6c1be0d96dafc4c59fec075817c39f53841396d794604684d27e1bcf2ca98b38 |
s1_kick_dry.wav | 音(WAV) | 1e0889f63e56871135521eb826e16fbe3f2bb9dd37e60d445be489cbe40ccb72 |
s2_kick_lowcut80_iir.wav | 音(WAV) | 3d6dfaf6aa01b873bce5e15ced272d106096bc0dadf316310126dbb565a9a437 |
s3_kick_lowcut80_linear_phase.wav | 音(WAV) | c827eeaa7256a5f048ef58a67e0e49bd81bfe5e3b73c91ef70be84f8eeb2bee5 |
スクリプトは MIT、データと図は CC BY 4.0(© 2026 DTMFRAME)。 ライセンスの全文
計算のスクリプトは/demos/linear-phase-eq/demo.py、概念図を描くスクリプトは/demos/linear-phase-eq/figures.pyに置いてある。使い方は/demos/README.mdにまとめた。
根拠の一覧
文献の書誌は次のとおり。Audio EQ Cookbookは、W3C Audio Working GroupのWorking Group Note(2021-06-08)で、R. Bristow-Johnsonの文書を許可を得て改めたものだ。
J. O. Smithの解説は、『Introduction to Digital Filters with Audio Applications』(W3K Publishing、2007年)のオンライン版だ。本文は、DSPRelated.comに置かれた同じ本の版で確かめている。
Steven W. Smithの『The Scientist and Engineer's Guide to Digital Signal Processing』は、19章「Recursive Filters」のPDFを読んだ。参照したのは、本の328〜331頁にある「Phase Response」の節になる8。
Steinberg Cubase Proのマニュアルは、15.0版のページでは本文が静的に表示されないため、12.0.0版の静的なページで確かめた311。Voxengo CurveEQのガイドは版3.16のもので、Cubase Pro 12に付属するのがどの版かは書かれていない10。文献とマニュアルの確認日は、すべて2026-10-12だ。
- 計算の記録1:ev_msr_synth_linear_phase_eq_1(
tools/demos/linear-phase-eq/、seed 20261012) - 概念図の計算の記録1:
concept_phase_time.svg。値はresults_detail.jsonのD1_same_magnitude_different_time - 主張1の計算の記録1:
d1_magnitude.csv、d1_group_delay.csv、results_detail.jsonのD1_same_magnitude_different_time - 主張2の並列の足し算の計算の記録1:
d3_parallel_sum_iir_vs_linear.csv、d3_parallel_sum.csv、results_detail.jsonのD3_parallel_sum - 主張2の帯域分割の計算の記録1:
d4_crossover_sum.csv、d4_crossover_phase.csv、results_detail.jsonのD4_crossover_sum - 主張3のプリリンギングの計算の記録1:
d2_preringing.csv、d2_preringing_level.csv、results_detail.jsonのD2_pre_ringing - 主張3の遅れと精度の計算の記録1:
d5_latency.csv、results_detail.jsonのD1_same_magnitude_different_time、D5_latency_vs_precision
出典
- 1記録
ev_msr_synth_linear_phase_eq_1(実行 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5 本文 6 本文 7 本文 8 本文 9 本文 10 本文 11 本文 12 本文 13 本文 14 本文 15 本文 16 本文 17 本文 18 本文 19 本文 20 本文 21 本文 22 本文 23 本文 24 本文 25 本文 26 本文 27 本文 28 本文 29 本文 30 本文 31 本文 32 本文 33 本文 34 本文 35 本文 36 本文 37 本文 38 本文 39 本文 40 本文 41 本文 42 本文 43 本文 44 本文 45 本文 46 本文 47 本文 48 本文 49 本文 50 本文 51 本文 52 本文 53 本文 54 本文 55 本文 56 本文 57 本文 58 本文 59 本文 60 本文 61 本文 62 本文 63 本文 64 本文 65 本文 66 本文 67 本文 68 本文 69 本文 70 本文 71 本文 72 本文 73 本文 74 本文 75 本文 76 本文 77 本文 78 本文 79 本文 80 本文 81 本文 82 本文 83 本文 84 本文 85 本文 86 本文 87 本文 88 本文 89 - 2https://support.apple.com/guide/logicpro/linear-phase-eq-overview-lgcef1edd389/mac(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5 本文 6 本文 7 本文 8
- 3https://archive.steinberg.help/cubase_pro_plugin_reference/v12/en/_shared/topics/plug_ref/frequency/frequency_r.html(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5 本文 6 本文 7 本文 8 本文 9
- 4https://www.image-line.com/fl-studio-learning/fl-studio-online-manual/html/plugins/Fruity%20Parametric%20EQ%202.htm(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5 本文 6 本文 7 本文 8 本文 9 本文 10
- 5https://www.fabfilter.com/help/pro-q/using/processingmode(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5 本文 6 本文 7 本文 8 本文 9 本文 10 本文 11 本文 12 本文 13 本文 14 本文 15 本文 16
- 6https://www.w3.org/TR/audio-eq-cookbook/(確認 )本文 1 本文 2
- 7https://www.dsprelated.com/freebooks/filters/Linear_Phase_Filters_Symmetric_Impulse.html(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5
- 8https://www.dspguide.com/CH19.PDF(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4
- 9https://www.dsprelated.com/freebooks/filters/Group_Delay.html(確認 )本文 1 本文 2
- 10https://www.voxengo.com/files/userguides/VoxengoCurveEQ_en.pdf/getbyname/Voxengo%20CurveEQ%20User%20Guide%20en.pdf(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4 本文 5 本文 6 本文 7
- 11https://archive.steinberg.help/cubase_pro_plugin_reference/v12/en/_shared/topics/plug_ref/curve_eq_c.html(確認 )本文 1 本文 2 本文 3
- 12https://www.image-line.com/fl-studio-learning/fl-studio-online-manual/html/plugins/Frequency%20Splitter.htm(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4
- 13https://fenderstudiopromanual.fender.com/en/Content/Built-In_Effects_Topics/EQ.htm(確認 )本文 1 本文 2 本文 3 本文 4
- 14https://www.ableton.com/en/live-manual/12/live-audio-effect-reference/(確認 )本文 1 本文 2 本文 3
- 15https://www.bitwig.com/userguide/latest/eq/(確認 )本文 1 本文 2 本文 3
- 16https://www.dsprelated.com/freebooks/filters/Phase_Distortion_Passband_Edges.html(確認 )本文 1 本文 2 本文 3
- 17https://www.dsprelated.com/freebooks/filters/Linear_Phase_Really_Ideal.html(確認 )本文 1 本文 2 本文 3
- 18https://www.dsprelated.com/freebooks/filters/Zero_Phase_Filters_Even_Impulse.html(確認 )本文 1 本文 2